大判例

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東京高等裁判所 平成11年(ネ)1884号 判決

控訴人 側髙神社

右代表者代表役員 髙城賢一

右訴訟代理人弁護士 永倉嘉行

同 神田洋司

同 飛田政雄

同 阿部健二

被控訴人 国

右代表者法務大臣 臼井日出男

右指定代理人 石川利夫

〈他9名〉

主文

一  原判決を取り消す。

二  原判決別紙物件目録四記載の土地は控訴人の所有であることを確認する。

三  原判決別紙物件目録一記載の土地と同目録六記載の土地との境界は原判決別紙図面イ点とホ点を直線で結んだ線であることを確定する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  主文第一項から第三項までと同旨

2  (予備的請求として)原判決別紙物件目録四記載の土地と同目録六記載の土地との境界は原判決別紙図面イ点とホ点を直線で結んだ線であることを確定する。

二  被控訴人

控訴棄却

第二事案の概要

一  本件は、控訴人が、被控訴人に対し、原判決別紙物件目録四記載の土地(以下「本件参道」という。)は控訴人所有の境内地である同目録一記載の土地(以下「本件境内地」という。)の一部であるとして、本件参道が控訴人の所有であることの確認と、本件境内地と国有地である原判決別紙物件目録六記載の土地(以下「本件道路」という。)との境界確定を求めた事案である。原判決は、本件参道は本件境内地の一部ではなく本件道路の一部であると認定して、その旨境界確定するとともに、右所有権確認請求を棄却したので、これに対して控訴人が不服を申し立てたものである。なお、控訴人は、当審において、本件参道と本件道路との境界確定を求める予備的請求を追加した。

二  右のほかの事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の当審における主張)

1 本件参道は、古来から本件境内地の一部であり、その全体が一体として神社用地であった。このことは、公図の記載、国土調査の結果設置された境界杭、本件参道が道路認定されていないこと等から明らかである。控訴人の前身である村社側髙神社は、大正七年、当時の所有者金江津村から本件参道を含む本件境内地の譲与を受けたものである。

2 村社側髙神社は、大正七年、金江津村から本件参道を含むものとして本件境内地の譲与を受けた。このことにより、村社側髙神社の本件参道に対する占有は、他主占有から自主占有に転換した。また、本件参道は、専ら参道として利用されてきており、一般公衆が道路として通行しているとの実態はない。本件参道に対する控訴人の占有を否定して、時効取得を認めなかった原判決は、事実を誤認したものである。

(被控訴人の当審における主張)

地租改正事務局が明治九年に発した「社寺地処分心得書」は、「大社寺ニシテ鳥居山門等突出シ右門内ノ道路ニ傍テ末社子院其他人民ノ居宅アルモノハ鳥居山門以内ト雖トモ右道敷ハ普通ノ道路トナシ境外ト定ムヘシ」と定めている。したがって、村社側髙神社の境内外の境界を定めるに当たっては、本件参道は、普通の道路として境外と定められたものと考えられる。また、当審で提出した金江津村の地図は、本件参道を道路を示す赤色で表示している。これらの事情も本件参道は本件境内地に含まれるものではないとの原判決の認定の正当性を示すものである。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所は、本件参道は、本件境内地の一部であり、控訴人が所有するものであって、本件境内地と本件道路との境界は原判決別紙図面イ点とホ点を直線で結んだ線であるものと判断する。その理由は、次のとおりである。

1  《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 村社側髙神社は、正徳四年(一七一四年)、本件境内地に移転した。それ以降、本件参道は、その南側延長部分の細長い土地と一体となって、村社側髙神社への参詣者の参道として利用され、また、馬場と呼ばれて神事も行われてきた。一七〇〇年代に、右延長部分の南端に旧一の鳥居が、本件参道の北端(原判決別紙図面のロ点とニ点を結ぶ直線上付近)に二の鳥居が建立され、また、本件参道内の二の鳥居の近くに手水石と石灯籠一対が設置された。

(二) 村社側髙神社は、大正七年一月三〇日、金江津村から本件境内地の譲与を受けて、その所有権を取得した。村社側髙神社は、昭和二七年九月二〇日、法人格を取得して宗教法人となった。これが控訴人であり、控訴人は、村社側髙神社の権利を承継した。

(三) 村社側髙神社及び控訴人の氏子は、本件参道の掃除をしてその維持管理に努めてきており、また、昭和四六年には、控訴人の氏子からの寄付金により、本件参道がアスファルト舗装された。

(四) 本件参道は、西側は水路と接しており、西側部分からの人の出入りはない。本件参道の東側は原判決別紙物件目録二記載の土地(現在の所有者は堀越良夫)と接しているが、右二記載の土地は、その南側で公道(現在は町道)に接していて公道との出入口は南側に設けられており、本件参道との間は高低差があって、従来から、右二記載の土地の本件参道に面した部分には出入り口は設けられていない。本件参道の北側は、本件境内地に続いており、通り抜けはできず、本件境内地で行き止まりとなっている。このような事情から、本件参道の利用者は、かねてから、村社側髙神社(その後の控訴人)への参詣者及び同神社に用のある者に限られており、一般の通行のためには利用されていない。

(五) 本件参道の南側延長部分の土地は、本件参道と異なってこれに面する土地から出入りする者があり、また、他の道路と交差していることもあって、参詣者のほか、一般の通行にも利用されていた。昭和四八年ころ、右延長部分の南端付近に県道常総大橋が建設されることになったため、旧一の鳥居は取り壊された。また、茨城県は、昭和五〇年ころ、右延長部分の南側部分の土地約四三〇平方メートルを約二六〇万円で控訴人から買収した。旧一の鳥居が取り壊されたので、昭和六二年、本件参道の南端(原判決別紙図面のイ点とホ点を結ぶ直線上付近)に現在の一の鳥居が建立された。

(六) 本件参道の南側延長部分の土地(旧一の鳥居から現一の鳥居の間の部分)は、昭和五九年三月、村道(現在は町道)四三八六号線に認定された。しかし、本件参道は、その利用状況が右(四)のとおりであるため、道路認定はされていない。

(七) 昭和五〇年から昭和五七年にかけて、本件参道付近の国土調査が実施され、原判決別紙図面のイ点とホ点には、官民の境界を示す赤杭と民民の境界を示す黄杭の二つの杭が埋設され、ロ点とニ点には、黄杭が埋設された。

(八) 公図には、ロ点とニ点との間に筆界を示す結線が引かれていない。また、河内町役場保管の閉鎖課税図も、いったんはロ点とニ点との間に結線が引かれた形跡があるが、その後消去され、現在は、結線が引かれていない。

2  右の認定事実によれば、本件参道を利用しているのは、当初から、控訴人(その前身の村社側髙神社を含む。)の参詣者及び控訴人に用のある者だけであり、控訴人に用のない一般人が通行することはなく、公衆用の道路としての実態はないものと認められる。また、本件参道は、道路認定されていないし、茨城県は、かつて本件参道に続く南側延長部分の一部を控訴人の所有地であるとの前提で控訴人から買収したというのである。そして、本件参道内には、二基の鳥居のほか、石灯籠等の宗教上の設備が設置され、控訴人の氏子が本件参道を維持管理してきたものである。これらの事情を考えると、本件参道は、公衆用の道路である本件道路の一部ではなく、従来から本件境内地の一部であったと認めるのが相当である。このことは、公図や閉鎖課税図が、ロ点とニ点との間に結線を引かず、本件参道と本件境内地を一体のものとして表示していることからも裏付けられるところである。

公図と閉鎖課税図は、イ点とホ点との間にも結線を引いていない。このことは、一見、本件参道が公衆用道路である本件道路に含まれるかのようである。しかし、本件参道は、イ、ホ線から南側の部分とは異なり当初から一貫して公衆用の道路としての実態がないのであるが、本件参道がかつてはその南側延長部分の土地と合わせて馬場と呼ばれ、一体の土地と観念されていたことがあり、過去の茨城県による公共用地の買収において、その南側の部分の土地の一部が控訴人所有地として扱われたことがあることを考慮すると、公図等の右の表示は、イ、ホ線から南側の部分の土地についてその所有関係を明確化せずにおいたことによるものであって、本件参道が公衆用の道路としての実態を有していないことを否定するものとは認められない。

また、国土調査の成果である地籍図には、ロ点とニ点との間に結線が引かれており、被控訴人が当審で提出した水戸地方法務局龍ヶ崎支局保管の金江津村の地図は、本件参道から旧一の鳥居があった地点までの部分(馬場の部分)を道路を示す赤色で表示している。しかし、これらの証拠も本件参道が公衆用道路としての実態を持ったことがないとの右認定を左右するものではない。

なお、本件参道が本件境内地の一部であると、本件境内地は、本件参道部分が突起した不整形な土地となり、また、国土調査後の実測面積が国土調査前の登記簿上の面積に比べ大幅に増加することになるが、これらの事情は、本件参道の利用実態等右認定事実に照らすと、本件参道が本件境内地の一部であるとの認定の妨げとなるものではない。

3  被控訴人は、社寺地処分心得書を根拠に本件参道は道路として境外と定められたはずである旨主張する。そして、《証拠省略》によれば、社寺地処分心得書は被控訴人主張のとおり定めていることが認められる。

ところで、社寺地処分心得書の右定めは、鳥居山門内の土地に沿って住宅その他の建物がある場合には、その住宅等の居住者や来訪者が右土地部分を道路として利用するものであるから、これを公衆の用に供する道路として、境外地として扱うことを定めたものであると考えられる。しかし、前記1(四)で認定したとおり、本件参道は、従来から、その西側は水路であり、北側は行き止まりとなっている。また、東側には、堀越良夫所有地があるが、その位置関係や段差の存在により、本件参道に面した部分から出入りすることがなく、このような状態は、遠い過去から現在まで永く続いていたものと認められる。そうすると、本件参道は、社寺地処分心得書からみても、境外地として公衆の用に供される道路の範ちゅうに区分すべきものではないものと認められる。そして、それ故にこそ前述の公図や閉鎖課税図において、ロ点とニ点との間に公衆用の道路と境内地との境界を示す結線が引かれていないものと考えられるのである。

以上のとおりであって、被控訴人の右主張は、いずれも採用することができない。

4  本件参道が本件境内地の一部であることと前記1(二)の認定事実によれば、村社側髙神社は、金江津村から本件参道を含むものとして本件境内地の譲与を受けて、その所有権を取得し、控訴人が村社側髙神社の右所有権を承継したものと認められる。

二  したがって、本件参道を本件道路の一部であると認定してその旨境界確定するとともに、控訴人の本件参道についての所有権確認請求を棄却した原判決は失当であるから、これを取り消し、本件参道は控訴人の所有であることを確認し、本件境内地と本件道路との境界は原判決別紙図面イ点とホ点を直線で結んだ線であることを確定すべきである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 淺生重機 裁判官 菊池洋一 江口とし子)

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